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アントレプレナーのための「論語と算盤」

『論語と算盤』は、大正5(1916)年 澁澤栄一氏が76歳の時に刊行された
道徳経済を分かりやすく説明した書籍である。

この本は澁澤自身が書いたものではなく、
その講演の口述の掲載から、
実用書の編集者でもあった梶山彬氏がまとめたものだ。
だからこそ、読みやすく、澁澤の提唱した道徳経済の入門書でもある。

実際に読んでみると、四書全体を参照していることからも、
本来は、「四書と算盤」であるのを、
「論語と算盤」というネイミングにしたのも、
上手いと思った。

澁澤栄一とは

澁澤栄一は、日本の資本主義社会をデザインした人物である。
彼が設立に関わった会社は481社(東京商工会議所データ)とされ、
それ以外に500以上の事前事業にも関わるなど、
実業の側から近代日本を作ってきた人物だ。

彼の偉大さは、単に欧米型の資本主義を導入したのではなく、
その中に東洋伝統の哲学を取り入れ、
利益追求主義に傾きやすい資本主義とのバランスをとろうとしたことにある。

今から100年前の提唱であり、その理念に基づいて創業された
澁澤の手がけた会社は、今でも日本の基幹産業であり続けている。

澁澤栄一の3つの特徴

さて、その偉業を成し得た彼の人生には、3つの特徴がある。

まず第1の特徴は、江戸時代末期のまだ厳格な身分制度が残る時代に、
農民階級に生まれたことである。

第2の特徴は、5歳から漢籍(儒教教育)を受けたこと、
そして、第3の特徴は、27歳の時にパリ博視察に渡欧していることだ。

深谷の農民出自のバックグラウンドもない人物が、
27歳の時に将軍の弟と共に、最高級の待遇でヨーロッパに行った。

頭脳明晰で、傑出した人物ではあったが、非常に稀有な強運な人物でもあった。

幕末の志士たちの多くが、下級武士であったのに対し、
澁澤の生家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し、
同時に米、麦、野菜の生産も手がける豪農だった。

つまり、工業・商業を行う農家である。
士農工商で言えば、士業のみが欠けていたという環境で、
それが逆に彼の人生に有利に動いている。

そしてもう一つ、5歳から父の手ほどきで儒教を学んでいる。
儒教は、宋の時代に朱熹により朱子学に編纂され、
大学・中庸・論語・孟子の四書を中心とした、
徳川幕府を支えてきた基幹思想である。
自己修養から始めて、多くの人を救済する政治へと段階的に発展していく事を
基本綱領にしている。

そして、27歳の時に渡欧した経験だ。
最初は倒幕の尊攘派志士だったのに、なぜか幕臣となり、
徳川慶喜に仕え、パリ万博に慶喜の弟の供として超VIPなヨーロッパ視察旅行に行っているのである。
彼が藩士ではなく、農民出自という経歴が、この時有利に働いたのだろう。

そして約2年間、ヨーロッパ各国で、最先端の技術に触れ、
帰国したら大政奉還は既に終わっていて、
慶喜公は静岡に蟄居していたという。

龍馬が、西郷が、大久保が、血みどろになって戦っていた時、
シーボルトを通訳に優雅に欧米旅行をしていたという巡り合わせだ。

下級武士だったら、藩のしがらみがあり、自由に動けなかっただろう。
討幕派が幕臣に転職も、気軽にはできなかっただろう。

もし本物の幕臣だったら、澁澤ほどの優秀な人物が、
幕府滅亡の時期に故国を離れることなど、許されなかったのではないだろうか。
「非常に優秀だけど豪農出身」という、ありそうでない微妙な立場が、
その後の澁澤の立ち位置にも絶妙なバランスをとっている。

その後、留学経験を買われて大蔵省に入るが、4年足らずで退官して、
日本初のアントレプレナー(起業家)として、
第一銀行(後に第一勧業銀行を経てみずほ銀行)を創設し、
日本の近代化のために必要な産業を担う企業を創設、育成し、軌道に乗せることに情熱を傾けた。
手がけた企業は481社にのぼる。

そして、幾度となく政界や官僚界から乞われても、
在野の実業家としての立場を通し、91歳で大往生している。

澁澤は、「動乱期にいあわせたのは不運」だと述べているが、
動乱期にしか起こりえない幸運である。

維新から太平洋戦争、戦後から現在

戦後75年経過した現在を、明治維新後と比較すると、
よく似たようなプロセスを辿っていることが分かる。

明治維新から26年目に日清戦争、
その10年後の36年目に日露戦争で日本は勝利する。
それが恐らく一番日本が上昇した時期だろう。
そこから丁度同じ期間の、37年後に、太平洋戦争が勃発する。

明治維新から太平洋戦争終結まで77年。
終戦の日から今年、2021年は76年目である。

このようなパラダイムシフトの中に、私たちはいる。

もし澁澤が生きていたら、今の私たちに何を伝えるのか。
そのメッセージは多くの著作に記されているので、
それを学べばいい。学びながら語り合えばよい。
そのような主旨から、毎朝15分間勉強会を行っている。

道徳経済

澁澤は、近代日本をどのように作ったのか。

「論語」は、孔子が語った道徳観を弟子たちがまとめたものだ。
渋沢は論語を、実業を行う上での規範とし、
道徳経済を提唱している。

出世や金儲け一辺倒になりがちな資本主義の世の中を、
論語に裏打ちされた商業道徳で律する。

自己の利益に走ることなく、
公や他者を優先することで、豊かな社会を築く。
これが、渋沢が語る「道徳経済思想」だ。

澁澤が育てた会社は、日本の基幹産業も含む一流会社だ。

「論語と算盤」というと、異質なものの取り合わせのように見える。
だが、儒学には「金もうけをしてはいけない」とは一言も書いていない。

戦国時代から安定社会をつくりあげた徳川時代は、
士農工商と身分を区分けし、崇高な武士の精神と、
利益追求の商人の理念とは一致しないと教えてきたため、
私たちの精神にも、未だにこの弊害
「崇高な士はお金の話をしてはいけない」という考え方が残っているが、
澁澤は、「崇高な志をもって経済活動をせよ」と述べている。

澁澤がこの時代に、声を大にして述べたことは、
不道徳な算盤(経営)は問題だが、
道徳的な経営に基づいた算盤は民族が豊かになるためには必要なものであり、
「お金儲け」にやましさを感じ、曖昧にしてきたことこそが、国益に反し、問題ではないかと論じている。

2020年12月、英BBCのラジオ番組で、英中銀イングランド銀行総裁を務めたマーク・カーニー氏は、
われわれはなぜ道徳や倫理より金銭的価値の方を重視するのだろうと問いている。
例えば気候変動問題では、地球環境を守る重要性への理解不足もあり、
人々の関心は目先のことに向かいがちであるが、
同じアマゾンでも米ネット通販企業とは違い、
南米の熱帯雨林の価値はきちんと捉えられていないという。
効率と利益の最大化だけを求め、多くの企業がこのわなに陥る現状において、
新型コロナウイルスの感染拡大は、経営者が何を最優先すべきか見直す機会になる。
(2021年1月11日 Finalcial Times)

現在、SDGsが注目されているが、
そこに書かれていることは、澁澤からみたら格段目新しいことではない。
彼が100年前に論理的に述べていることだ。

それでは、一体何が書かれているのか。
興味を持って戴くために、一例として、「大立志と小立志との調和」を用いて説明しよう。

企業理念

起業する際、必要なのは、企業理念だ。
その企業理念を、澁澤は、大立志と小立志という言葉を用いて説明している。

まず、最初に立てるものは、大志である。
企業理念の大テーマなるものだ。
下記例をあげよう。

「地球上で最もお客様を大切にする企業」(AMAZON)
A Better Life, A Better World」(パナソニックグループ)
イノベーションを通じて、人々と社会をエンパワーメントする」(楽天)
「UPDATE JAPAN 情報技術で人々の生活と社会をアップデートする。」(ソフトバンク)

ここで澁澤は、崇高なものにしすぎると、社員は迷いやすくなるという。
そして迷った挙句、逆にやるべきものから外れていくことになる。

それではどのよに企業理念を作ればよいか。
まず行うべきことは、冷静に自分たちの能力の長所と短所を、把握することだ。
自分達企業の、長所と短所を書き出して、
その中の、長所に分類した能力を基準として、
理念を定める事が良いという。

技術力があるといっても、
それはゼロから創りだすイノベーション的な技術力か、
それとも、より良い物を創り出す、
デザイナー的技術力か。
そのようなことを、冷静に判断する。

次にすることは、自分達が置かれている環境や時代が、
その理念を完遂することを許しているかどうかだ。

例えば、AMAZONを真似して、
「地球上で最もお客様を大切にする企業」と提唱しても、
それが自分の会社で可能かどうかだ。
その視点を軽視して、カッコいい理念を提唱すると、
逆に迷走してしまい、変えざるを得ない状況になったり、
社員の気持ちがしっくりせず、離れていく遠因にもなる。

「日本で最もお客様を大切にする企業」
「埼玉県で最もお客様を大切にする企業」のように、
分をわきまえる事も大切で、
その方が、何をすべきかが明確化する。

根幹となる方向性が決まったら、
次にすることは、
その枝葉になる小志を完遂するための、日々の工夫だ。

小立志とは、日々起こる希望や、やりたい事、
「こうなりたい」という気持ちである。
プロジェクト毎に「こうなりたい」「こうしたい」という目的を立てるが、これが小立志である。

小立志は、その時の感情によっておこるため、常に変動偏移する質がある。
そのため、逆に、この小立志で大立志が揺らがないように
注意することが大切であり、
小立志と大立志は矛盾がないようにしなければならない。

例えば、パナソニックの場合、
A Better Life, A Better World」だ。

そのため、商品開発コンセプトも、
「今のものより良いもの」
「今をより便利にするもの」を目指せばよい。
それが得意な企業であるからこそ、そのような理念を据えたのだ。

そのため、小立志を「冷蔵庫の新規開発」にした場合、
今までよりより良いものを創るように、
技術者・デザイナー・営業、社員一丸になって頑張ればいい。

理念とは、ビジョンである。
そのビジョンをもった企業風土の中で社員が育っている。

それを、「ITの時代だから、新しいリノベーションを起こせ」とか、
今までにないもの、
今までやったことがない、
新たな商品を開発をしようとすると、
それは大立志と合わなくなり、
何をしたら良いのか社員も迷い、会社自身が迷走する。

イノベーションを通じて、人々と社会をエンパワーメント」する楽天や、
「情報技術で人々の生活と社会をアップデートする」ソフトバンクと比較すると、
どうしても華やかさが欠けていると思いがちだが、

今の生活を、
「イノベーションを通じてエンパワーメントしたい」と思っている人と、
「Better Life」を望んでいる人は、恐らく同じような数ではないか。

株式投資やM&A

株式投資やM&Aの際、起業理念まで読み解く人は少ないかもしれないが、
企業理念は大切な企業の根幹である。

M&Aの場合、企業価値算定の際、キャッシュフローや保有財産など、数字ばかりを捉えがちだが、
事業計画書に大立志と小立志が矛盾なく組み込まれているかを査定することも必要だろう。

企業価値には、そこで働く従業員や既存のカスタマーなど、人的資産の把握は最大事項の一つである。
その会社の企業理念や事業計画を、そのまま買い手から引き継ぐのか、
企業理念を変更するのか、
その場合、今いる人たちや既存のカスタマーがそれを受け入れられるのか、
新しい理念の方が未来があるとした場合、
それを既存の人材が理解できるのかなど、
精査することも大切だろう。

大立志と小立志に矛盾が起きないように配慮された、
澁澤が手掛けた企業は、未だに日本を支える基幹企業である。
企業を支えているのは、そこに働く従業員であり、
その企業の商品を愛するカスタマーであり、人間である。

人間にはこころがある。
故に、企業にもこころが必要だと唱えたのが、
澁澤の道徳経済の根幹だ。

しかし、こころは数字では表しにくい。

だからこそ、捉えることが大切である。

道徳経済とは、利益を数字だけで追わず、ひとの気持ちを掌握しながら、
より良い社会を創りだすための経済理論だ。

現在、毎朝「論語と算盤」を15分読んでいる。
この勉強会を通して、今の時代を切り開くアントレプレナー達が育っていけばと願っている。

論語と算盤を毎朝読む!

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